米軍の無差別殺人の原爆投下から77年目の昨日、平和公園に。
8.6の早朝に誕生し数時間の生しか与えられなった次女にあたる姉のことは、中国新聞の「ヒロシマの空白」という新聞協会賞を受賞したシリーズで取材を受け、記事になったのを以前このブログで書きました。
爆風でつぶれた家の下敷きで亡くなった長女・次女とその母親や、4歳でその惨劇を体験し44歳の若さでガンで亡くなった兄、母方の祖父や叔母たち、そして私の両親などのあの日の体験を私は想像するしかないのですが、二度とこんな体験をする人がいませんように祈るばかりです。
父は被爆後に兄を連れて私の母と再婚し、姉と私が誕生しました、ですから私は両親共に被爆者の「被爆2世」です。
姉は戦後のベビーブームの昭和22年生まれでしたが白血病で亡くなっています、父は二度もガンを患いました、原爆とガンの関係は未だ証明されていませんが、個人的には影響しているのでは?と思っています。
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